木版画彫
もくはんが ほり
●彫師の仕事
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絵師から版元の了解を得た版下を、山桜版木(堅くて摩耗しにくく、版画には一番向いている)に裏返しにのりで貼り、乾いたら小刀で墨線を筋彫りする。版下はラフに描いてあるので、筆の勢い・タッチなどを殺さずきれいな線に彫り上げる。周りの余分な部分をのみで削り、小刀で彫った線を凸版状にする(墨板完成)。
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墨板を色の数だけ和紙に摺る(校合摺と言い、浮世絵なら10から13枚)。
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同じ色ごとに色分けを朱墨でする
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色分けした校合摺を新しい板に貼り、彫る(墨板以外は表裏に貼り、使用する)。
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朱色で塗られた所を残る様に彫る(色板完成)。
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摺師に渡し、校正摺りをする(以後は摺師の仕事)。
●浮世絵木版画
江戸時代の商業出版物である。歌麿の美人画や写楽の役者絵は、ブロマイドやカレンダーとして、北斎の富嶽や広重の風景画は、絵はがきや、当時庶民に人気だった旅へと誘う写真集として売られていた。
版元(出版社)は庶民が何を求めているか、喜ばれるか常に考えていた。木版画を出版するには、
①版元(資本、企画、製作販売)
②絵師(版下と言い、色のついていない下絵を描く)
③彫師(版下を版木に貼り、墨板と色板を彫る)
④摺師(彫師の彫った版木に色をつけ、和紙にばれんで摺る)の4者が必要である。
関岡 裕介
せきおか ゆうすけ
昭和32年生まれ
木版画摺師の関岡功夫氏(元区指定無形文化財保持者)の子息。昭和51年、高校卒業後に彫師を志し、木版画彫師の四代目・大倉半兵衛氏(文京区)に弟子入りした。7年間の修業を経て技術を修得し、独立した。
平成元年からはアダチ版画研究所に勤め、5年後改めて独立し、関岡彫裕木版画工房を設立した。平成25年、摺師であった祖父及び父の号「扇令」を襲名した。浮世絵、現代版画、千社札などの版木を手掛ける。なお関岡家は代々、千社札の会「東都納札睦」の取りまとめも行っており、保持者もこれを継いでいる。
(西日暮里三丁目11番8号)